2回目の、ジンケンズWSは参加者3名。
人権感覚を磨く練習の150分間となりました。
今回は、3つのアクティビティに挑戦。
「ほしいもの・ひつようなもの」
「誰が決めるべきでしょう?」
「ニュースにおける人権」
「誰が決めるべきでしょう?」は、子供たちの「発達しつつある能力」に気づくことを重視したワークです。自分自身の経験、世の中の変化、将来どう影響するのか、など、事実と理想と想像力で頭がパンパンになります。
「ニュースにおける人権」は複数の新聞を使うワークですが、この日は偶然、安倍首相の辞任表明が一面を埋め尽くしていました。「人権」が世の中でどのように「行使・享受」「拒否・侵害」「保護」されているかを新聞に探し、『世界人権宣言』の条文と照合するアクティビティを経て、「人権」が、ひとつひとつ、輪郭のはっきりした行動の様式であることが腑に落ちます。
ワークの中で「人の死」に関する話題が出ました。文字にすると、一面的な記述になりそうなので、記すことはしませんが、「死者の尊厳」を死者は守れない。生き残った人が、死者を「かつて生きていた人」としてどのように守るのかが、とても大切だと痛感しました。書いてみれば、当たり前のことのようにも思えますが。
今回は、時間厳守をファシリテーションの優先項目にしていたため、ふりかえりが少し浅くなったかと思ったのですが、ワーク終了後に、参加者の3名の方が自分たちで発展的な対話をなさっていて、こういう形も一つの理想だと気づきました。
アクティビティは、気付きを触発するためにしていることで、そのあとの言動に影響を与えなければ、意味がありません。
そう考えると3名が「良い意味で勝手に」続けた対話は、希望が形になったものだったと言えるのです。
参加者の方の感想から** **
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前回のふりかえりから
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人権教育では「人権感覚」は、涵養されていくものだと捉える。
「人権感覚」とは、
「人を尊重する現状を、よいものだと感じられる感覚」。
根源の一つは、人を傷つけた己の行為を不適切であると感じる心である。
感覚は、磨くことができる。
「たとえほんの1ミリでも、価値を実現することをよしとする姿勢」を身につけることは、可能である。
福田先生の言葉を借りれば
「この世界の人は、鈍いから、人を傷つけてしまう。しかし、人権感覚を磨くことで、見えにくかった人権課題が見えるようになってくる」。
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毎月やります
次回は
9月26日(土)13時~15時半の予定です