多数決で決めたくないことがある
ジャンケンで決めないほうが良さそうなことも、ある
「決める」は難しい
主語が難しい
決める人と、決定の影響を受ける人が異なる場合、難しい
パブリックコメントについての新聞記事をいただいた
ベストタイミングで、読むべき記事が届いたことに、まず感謝である
「多数決」を前提とするスタンスに気づかされる。
そもそも、このたび、私たちが提出したパブリックコメントは連名で一通の提出なので、「票数」を言うなら、目減りしている
パブコメに関して「多数決」の観点など考慮しないからである
しかし、この記事は、その観点抜きには読解不能だ
「多数決で決めれば、多数派が勝つに決まっているじゃないか」
あの、外山恒一氏の政見放送の、有名なフレーズを思いださずにいられない
同じ意見がたくさんあれば、それがその意見の正当性を担保することになるか、否か
多数派が、多様な意見を踏まえたうえで、社会にとって有益な選択をする場合、多数決は有効だ
決めるための方法
選ぶための方法
「決める」と「選ぶ」の辺りで、主語が混乱してくる
ああ、今日も、わからなくなってきた
パブリックコメント作成会は、充実した内容だった
頭の中に、実に多様な人がたくさん登場する
ひとつの言葉の意味にこだわりながら、探したり考えたりする
仲間を増やすために報告記録を作成したいのだが、上記の新聞記事に、戸惑っているのだ
これが現実なのだろう
そして、きちんとメディアが報じてくれている
「同一人物が送った可能性」と文字にしている
だがしかし、である
私は踏みにじられた気持ちになっているのだ
感情的にならず冷静にクールにクレバーに、とアドバイスをされるが、蹂躙された屈辱は心の下の辺りに湿度の高い冷たい熱を流し込んでくる
こんな時の唱えごと
「人を憎んでる暇なんてない。
わしには、そんな暇はない。」
黒澤明監督のことば
今、わたしたちは暇つぶしをするほど暇ではない