ヨノナカ実習室 実習予告と記録

調理実習や木工実習のように、対話や表現や交流の実習を行う場所「ヨノナカ実習室」の、実習予定や記録をお知らせするページです

「百姓への道」教えて!耕作豊吉先生⑳

なぜか奥歯を噛みしめて涙をこらえて

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ナスの実になる寸前。トマトたち。

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いつも考えさせられる報告ですね。良い意味で。

だから、すぐ返事ができないのです。多分。

 

 

ほんの一握りのお米。

 

私も、我が家の小さな庭の一角に、これまた小さな水田(1㎡)を作ってお米を育てたことがあります。

夏を迎えた頃からいくら水を入れても水がたまらず、砂場に水を撒くような状態でした。どうしてか?稲刈りをした後で、わかったことですが、水田の底に張っていた黒い農業用のビニールに、お米の根がビニールを貫いてまるで、ジョウロのように無数の穴が開いていたからでした。

 

秋になって、収穫したお米を、職場で、精米してもらおうとしたのですが、あまりにも少なすぎて、無理だと言われ、結局家で一升瓶に入れ、棒で搗き精米にしました。次男がまだ小学校の低学年の頃でした。

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実はヨノナカ実習室では、稲を刈って干したあと、どうやってお米とワラにバラすのか、わからないまま「稲穂」を眺めています。いったいどうやって、お米をワラにすればいいのかしら。一升瓶のまだまだ手前です。

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思い出したことが他にもあります。

 

長男が、小学校5年生の時です。参観日に行ったら廊下に各班でお米の研究した発表が掲示されていました。

テーマはどの班も「庄内平野のお米づくり」でした。なぜなら当時息子の社会の教科書には庄内平野のある典型的な農家の暮らしがことこまかく扱われていたからです。

 

この児島湾干拓地のど真ん中にある小学校で、何と山形県庄内平野のお米作りをしている農家の暮らしを勉強しているのです。しかも、まさおくんとかいちろうくんみたいな主人公がいる典型的な稲作農家で、家族がニコニコした表情で田植え機とコンバインを使って田植えや稲刈りをしている絵本のような挿絵がついて説明しているやつです。

 

そんなある日、その長男が夕飯時に学校で習ったお米づくりの話をしてくれました。

 

担任の先生が「農業は後継者がいなくて、今は、おじいさんやおばあさんがやっている、もうからないえらい仕事だ」と言っていたというのです。

 

事実だし、何にも言い返せないと思いました。

その時、私はあの教科書を使っていったい先生は何を教えたいんだと思いましたが、少なくとも先生の非難は口にしませんでした。

 

なぜなら、私は、その時、『ミドリのクモ』の話を思い出したからです。『ミドリのクモ』の話は、私がかつて勤めていた職場の先輩の人が話していたことです。受け売りですが、こんな話です。

 

あるPTAの行事で、先輩は保護者に向かってこんな話をしました。

「昔、都会のある町に住んでいる小学生の男の子が主人公です。その子のお父さんは、大学で昆虫学を教えている偉い学者でした。ある日、その子が、近所の原っぱで、ミドリのクモを見つけて家に持って帰ってきました。その子は、大学から帰ってきたお父さんに、当然知っているだろうと思って、そのクモの名前を聞きました。ところがお父さんは、こう言ったそうです。「お父さんにはわからないなぁ。明日、学校に行って担任の先生に聞いてごらん」。「なんだ、お父さんはわからないのかぁ」とがっかりした様子でしたが、その子は、次の日、学校に行って、お父さんに言った時と同じように担任の先生に聞いたそうです。すると、その担任の先生は、少し調べてみるから、また後で教えてあげると言いました。その日の放課後先生は、『わかったよ。あのクモはね。何とか属の何とか科の何とかというクモだったよ』って教えてくれたというのです。その子どもは、家に帰って、お父さんに言いました。「お父さんすごいよ。ぼくの担任の先生は、あのミドリのクモは何とか属の何とか科の何とかというクモだと教えてくれたよ」と教えてくれたのです。昆虫学者のお父さんは、「そうか、やっぱり担任の先生はすごいね」っていったという話です。

 

実は、この話の裏には、もう一つのストーリーがあって、その父さんは、その日の朝、担任の先生にこんな電話をしていたのです。「実は、うちの子が昨日、原っぱで、ミドリのクモを採ってきた。これは、何とか属の何とか科の何とかというクモなんです。でも、先生にお願いがあるんです。うちの子は先生を大変尊敬しています。だから、きっと今日、うちの子がそのクモは何というクモか先生に尋ねるだろうから、調べて何とか属の何とか科の何とかというクモだと答えてやってくれませんか?というお願いをしていたと言うんです。」

 

 

作り話のようですが、何もないところからこんなストーリーは生まれないでしょう。核心の部分は実際あった話だったんだと思っています、今でも。

子どもにとって学校の先生は絶対?である方がいいなと思います。こんなことはめったにあることではないでしょうが、もしかしたら作り話かも知れませんが、私は教師と保護者との関係を思う時、決まってこの話を思い出すのです。

 

 

さて、話を戻します。

私の息子のある日の出来事と参観日の発見から、私は、いったいこの国は、小学校、中学校で農業についてどう教えているんだろうと思いはじめるようになりました。そこで、息子たちの小学校や中学校の教科書を借りて読んだり、本屋で立ち読みしながら、次のようなことが分かりました。

 

平成10年当時のことですが、日本の子どもたちは、

小学校1・2年では生活科で、植物のことや身の回りの働く人のことを勉強します。

小学校3年の社会科で市町村の範囲の地域の仕事・暮らしを、

4年生で都道府県の範囲の地域の仕事・暮らしを勉強し、

5年生に、農業、工業、産業と情報、自然環境を学びます。

そして6年生では、政治、歴史、国際理解で小学校を終えることが分かったのです。

そして、中学校に上がると、社会の地理的分野で、全国各地の産業を北海道から九州までの地域別に、各産業のことを学ぶようになっていました。

例えば、中国地方のことは農業というより地誌として勉強するのですが、、私の記憶が正しければ

中国山地は過疎化が進んでいる。中国地方の人々は、高速道路が発達し瀬戸内海沿岸の工業地帯に働き口を求めて人口が移動している。その中でも最近では農業は機械化がすすみ今では牛や馬を使って耕す人は少なくなってきた。』

というような事を書いていました。

 

これには驚きました。

これが少なくとも平成10頃の岡山県の小学生・中学生の農業に対する教科書の記述です。つまり、私の子どもは、二人とも、小学校5年生の時、とてもうまくいっている「庄内平野のお米づくり」の教科書を読み、班で意見を出し合い、模造紙にまとめ発表し、先生からは「農業は後継者がいなくて今は、おじいさんやおばあさんがやっている。もうからないえらい仕事だ」と教わり、中学校で、『中国山地は過疎化が進んでいる。中国地方の人々は、瀬戸内海沿岸の工業地帯に働き口を求めて人口が移動している。最近では農業は機械化がすすみ今では牛や馬を使って耕す人は少なくなってきた。』と教わっているのです。

 

繰り返しになりますが、教科書検定を通った平成10年ごろの教科書に、まだ『牛や馬を使って耕す人は少ない』という記述が平気で残っていたことには驚きました。(もしかしたら今でも残っているかも知れません)

 

 

ということで、先ほど、平成29年に出された小学校・中学校の社会科の学習指導要領の解説を見たんですが、その頃とあまり変わっていないようです。

 

そして、自分のことを言うようですが

耕作放棄地」という言葉を探してみたのですが一箇所も記述がありませんでした。

食糧自給率は小学校5年のところに一度だけ出てきます。

 

実は最近、農業?について、技術家庭科の「技術分野」の中の「生物育成」という項目が共通に履修することになって、すべての中学生が3年間のどこかで勉強することになっています。

が、ここで「耕作放棄地」や「食糧自給率」について扱うのは本筋ではないでしょう。

 

 

私は、思います。

教科書で

「今、日本の耕作放棄地は何haあって、食料自給率は、〇〇%だ」

と毎年最新の数値を載せて、

それでも、

それを教える先生が、

 

「先生はすべては知らんが、確かに後継者がいなくて困っている。けれども、全国各地で、農業に携わって、農業のことを考え、農業を生業として、懸命に生きている人がいるんだ」

 

と毎年、

わずか5分でもいいから、

学校で教室で、言ってくれたら、

日本の農業はどんなに変わるかなと思うんです。

もう5分時間をとって

 

「もし日本の人が、ごはんを毎日お茶碗一杯だけこれまでより多く食べたら、日本のお米は、余ることはない。むしろもっと多く作らないといけないかもしれない」

 

とかね。

それにもう5分時間があったら

 

「たくさんの作物があるけれど、毎年毎年同じところに作っても、連作障害が起こらないのはお米だけだ。我が国には2000年以上同じところでお米を作っている例がある」

 

とか。

それが、小学1年生から中学3年生まで、

まともに「農業」を教えるのは、5年生の社会で、たった一度だけ。

 

その教科書で「立派な米農家のようす」を勉強して、

その説明で、「農業はもうからん」はないです。

 

 

それなのに、国が農業後継者対策や耕作放棄地対策に、毎年何十憶、何百憶、何千憶も予算をかけていたとしたら、それよりもっと効果的なことがあるような気がしますが。

 

だから”ヨノナカ実習室”のとりくみは、素晴らしいのです。河原で見つけてきた石器を使って、稲刈りをする。この経験は、教科書を見て、「庄内平野のお米づくり」を上手にまとめて発表できたとしても、全国学力検査の問題で、育てたこともないヒアシンスやコスモスを球根だとか1年草だとか線で結んで正解できることよりも尊いことだと思います。

 

この一つをとって教科書を否定しているのではありません。

日本の義務教育を否定しているのでもありません。

農業の真の姿を教えるのは難しいですが、

教えようと努力することが大切だと思うんです。これでもか、と。

 

耕作豊吉

 

追伸 庄内平野が教科書の題材になるほどわが国を代表する米どころだということは知っているつもりです。そのことに異を唱えているわけではありません。

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一日の暮らしの中に
5分でいいから

詩を読む時間をとってみたら

という

編集者アサノタカオさんの言葉を思い出す

 

先生をやってる人に会えたら

5分あったら言って欲しい言葉を

伝えてみよう

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