あんなにモジモジ過ごした図画工作や美術の時間が懐かしい。
別に、思うように絵が描けた訳ではないけれど
お天気の良い昼間に
河原にみんなでトコトコ歩いて行って
気持ちの良さそうな景色を探して
黙々と
黙々と
手を動かして
それはそれは気持ちの良い時間でした。
あっという間に正午になっていました。
ずいぶん遠くまでそれぞれが旅してきたような気分で
自分たちの描いた絵を持ち寄って
いろんな話をしながら
おやつをいただきました。
意外と、他の人のことも
横目でみんな見ていたのでした。
このひとときが
これまた心地よい時間でしたね。
それぞれの形が。
そこで思い出したのです。
2月の「不器用な人のための編み物の会」でも
こんなふうに、それぞれの形が出来上がったのでした。
それぞれの皆さんの作品は
縁側展覧会にて。
実物の風合いがたまらない。
乞うご期待!
自分の気づきを少しだけ披露します。
「水の色が、わからない」
この日の旭川は土手に上がった途端にわかるくらい美しくて、もうこれを描くしかないと思って近づくと、実に透明で、水底が全部見えている。
そう見えている。
石が、見えていて、浅いところ、深いところ、全部わかる。
で?
何色で塗れば、これを、ここに、描きとれるのじゃ?
こんなところで落ち込んじゃダメだ!顔を上げて前を見よう!
すすきの穂が風に揺れて、美しい。揺れるふわふわ。光を受けてきらきら。
で?
で?
これ、何色なん?
ちょっと目を凝らして、そのすすきの後ろの葉っぱを描いてみよう。
あ、その後ろにも葉っぱがある。描いてみよう。
ああああ、その後ろにも葉っぱがある。
あれ?さっき描いたすすきの場所がテキトーだったから、葉っぱがあるのに、描けんが。
おっと、なんかそんなことしとる間に
干潮してきた。
景色かわっとるし。
あ、虫が紙に。
尻がかわいいなあ。
描いてみよう。
お?クレヨンの入れ物の字でも模写するか~。動かんから描きやすいなあ、、いや、全然ちがうもんが出来上がった。
そこで思い出したのは、クマガイモリカズ。
いいなあ、あの人。
こちらは、描いたり削ったりしながら
初パステルに挑戦したミヤコさん。
この構図は!!
国木田独歩の「画の悲しみ」の、主人公と志村が親友になるあのシーン。
彼は熱心に書いている。草の上に腰から上が出て、その立てた膝に画板が寄掛けてある、そして川柳の影が後から彼の全身を被い、ただその白い顔の辺あたりから肩先へかけて楊を洩れた薄い光が穏かに落ちている。これは面白ろい、彼奴を写してやろうと、自分はそのまま其処に腰を下して、志村その人の写生に取りかかった。それでも感心なことには、画板に向うと最早志村もいまいましい奴など思う心は消えて書く方に全く心を奪られてしまった。
彼は頭を上げては水車を見、また画板に向う、そして折り折りさも愉快らしい微笑を頬に浮べていた。彼が微笑するごとに、自分も我知らず微笑せざるを得なかった。
そうする中に、志村は突然起ち上がって、その拍子に自分の方を向いた、そして何にも言いがたき柔和な顔をして、にっこりと笑った。自分も思わず笑った。
「君は何を書いているのだ、」と聞くから、
「君を写生していたのだ。」
「僕は最早水車を書いてしまったよ。」
「そうか、僕はまだ出来ないのだ。」
「そうか、」と言って志村はそのまま再び腰を下ろし、もとの姿勢になって、
「書き給え、僕はその間にこれを直すから。」
自分は画き初めたが、画いているうち、彼を忌ま忌ましいと思った心は全く消えてしまい、かえって彼が可愛くなって来た。(「画の悲しみ」国木田独歩)
絵を描いている人の邪魔を
なぜかしてはいけない、と無条件に思ってしまう。
ひとりで頑張っているからだろうか。
そこにはいつも敬意を含んでいるような気がします。
これ、またやりますよ!
腕におぼえのないアナタ、是非、軽はずみにご参加下さい。
腕に覚えのあるアナタ、少し遠慮気味に、ご参加ください。