とても嬉しいメールありがとうございました。
例によっていろいろと考えさせられました。
まず、ヨノナカ農場の写真(ナスとトマトの見事な実がなっている)、秋空に映えてとてもきれいでした。よく頑張ったなという気持ちになりました。
2020年の春にヨノナカ農場に播かれた中のたった2粒のナスとトマトの種だったんでしょうが、そのルーツをたどっていけば先祖の種は間違いなく、貨物船に乗って大海原をわたって、日本にやって来たに違いありません。
さらにその元をたどれば、ナスもトマトも同じナス科ですから、もしかしたら、南米のアンデスの高地に生えていたたった1個の植物だった可能性だってあります。
その1個のナスとトマトの原種から種を採った1人の人間が必ずいて、その人がその種を増やしたのです。
これが最初です。
花が咲いて、実がなって、またそれから種を採って、それが何度も何度もたくさんの人の間で繰り返されて今につながっているのです。
もうこれは奇跡です。
もう一つすごいのは、このナスとトマトは、同じ時期に採取された種の中で、最も長生きしているということではないでしょうか。
以前にも言いましたが、こんなことを考えていると、また来春のヨノナカ農場にどんな種がやってくるのか楽しみでいっぱいになります。
次に、嬉しかったのはスミさんが邑久高校の取組に関係してお仕事されていることです。地元の教育機関に協力している姿勢に拍手を送ります。
私が言うまでもないですが、邑久高校は確か道路を挟んで向かいに文化施設がありますね。しかも図書館や公民館というのは高校としては最高です。県下の公立・私立高校の中で、このような施設が校門から数十歩のところにある高校はないと思います。“地域学”とかがクローズアップされている現代に、もしかしたら日本中探してもこのような環境にある高校はそんなにないかも知れません。
そのような中で、先日、創立百周年を迎えたという新聞記事を読みました。今の邑久高校に勢いを感じます。今、“地域”がキーワードです。また、ごく一部のことを言うようですが、邑久高校には県下で唯一のヨット部があります。これも邑久高校の強みです。県立のヨットハーバーにも近いし。
実は、私の母校にもかつてヨット部がありました。高校時代には同級生がヨット部に所属していて、学校の帰りに何度か部室兼艇庫に行って、私は帰宅部でしたが、今から思えば何が楽しかったんでしょう。彼らの活動を見ながら日向ぼっこをしたりして時間を過ごし、家の方向も一緒だったので一緒に帰ることがありました。その頃自分の学校にヨット部があるのが誇りでした。邑久高校の在校生も同様な気持ちを持っているでしょう。
もう時効だとは思いますが、私は部員でもないのに一度二人乗りのヨットに乗せてもらったことがあります。
www.oku.okayama-c.ed.jp
そして、今回驚いたことがもう一つあります。それは、“きとくしんりょう”という会社のことです。県内の農業に関する情報はたいてい知っているつもりでいましたが、この会社のことは、はじめて知りました。
スケールの大きい会社のようで、しかも邑久にあるのは中四国拠点工場というから驚きです。
邑久高校は普通科ですが、そうであっても日本の農業の一翼を担っている本物が近くにあるということです。このことは例えが変だと思うかも知れませんが、宇宙航空学?航空宇宙学?を学習している学校の近くにJAXAがあるようなものです。
やはり、変ですか。
それから、小学校の先生だった方の声を届けてくれてありがとうございました。
特に、私の文章に「優しい批判と希望がある」というように言って下さって、自分ではうまく表現できなかったけれど、そうか!自分が言いたいことは実はこういうことだったんだなと思いました。
貴重な感想を届けてくれてありがとうございました。
また、その方にお礼を言っておいて下さい。
以下は、恐縮ですが、私のどうでもいい「もったいない話」です。
私が高校を卒業した頃は、まさに高度経済成長の真っただ中でした。
大学進学を考えた時、工学部が花形で、こんな私でも高1の頃は関東の私立のS工大とかM工大などを受験しようと考えていた時期がありました。
高2になって先述したように一度ヨットに乗っただけなのにK商船大学の航海学科に行きたいと本気で考えていました。
その後、水泳が得意でないことと視力が裸眼で1.0まで落ちたことで、結局のところ高3の直前になって大海原から大平原に進路を変えO畜産大学の門をくぐったのであります。
ですが、そこで4年間過ごし卒業する頃には、言うなれば“食料危機のことが気になっているが、それに対して何も行動を起こせない人”になっていました。
同級生の中には果敢に自営の道に進む人もいました。こうして自分で農業をする勇気もなく、ただ農業という名の付く職業にしがみつくように農業高校の教員になりました。
中略。
あれから約40年、この日本に深刻な食糧危機が起きたか?
起こっていません。
しかし、この間に、農業後継者は確実に減少しました。
それに反して、機械化が進み、農地は集約され大規模になっていきました。
そのことは平野部では成功しました。
しばらくの間後継者不足は一農家当たりの耕地面積が増えることで解消されたように見えました。
しかし実際は、何も解決されていなかったのです。
問題は確実に進行していったと思います。
農業は他の産業と違って、事業者が、土地を軸にして一世代単位で交替してきました。
簡単に言えば親から子へ。
次の世代が後継しないと1人の人間が同じ土地を二世代の期間にわたって耕すことになります。
お米に限って言えば、例え後継者がいなくても、それでも条件の良い平らな土地ならば、農業法人や会社組織の大きな事業団体が大型の農業機械で耕すことができます。
ですが、住宅地の間に取り残された小さな田や、山間部の田はどうでしょう。
農地を一箇所にまとめることができないので大型機械を投入することができません。
従って、大規模な農業経営者には魅力がないので耕してもらえません。
高齢化が進む。
後継者はいない。
それが、やがて耕作放棄地になっていくのです。
さて、今、私は現役を退いた後、吉備中央町の農業法人夢ファーム大和(同町と総社市を中心に大規模な稲作をしている農業法人)で代表者の格別な計らいで週2日の勤務だけで「雇用就農者」(農林水産省の分類で言えばそうなるらしい)として働いています。
もう6年目になりますが、最近実感として思うのは、農地を荒らさないように、最も効率よく作物を生産できるのは、やはり稲作が最適だということです。
事実、当農業法人の代表者N氏は、町会議員という肩書も持っていて、非常に人徳がある人ですが、その方はその人徳故、次々に地元の人から“耕してもらえないだろうか”依頼され、年を追うごとに耕作面積が増えているという状況です。
とは言っても限界はありますが、果樹や花あるいは野菜の栽培だったらそう簡単には耕地面積は増やせないと思います。
と言っても私は米づくりもど素人ですから本当のことはわかりません。
ということで、私にとって週2日の「雇用就農者」としての農業は“自分も農業に携わっているんだ”という気持ちにさせてくれます。
この夏も、約3ha(点在する大小38枚の田)の田に水を入れたり、畔の草を刈ったり、9月初旬の整然とイネが伸びていく様子は、帰り支度をしながら夕日に照らされた水田のその光景をわざわざ振り返って見ながら、腰に手をやって悦に入っています。
しかし時々、思い出したように、何か自分でやってやろう!という勇ましい気持ちになることもあります。
実は、私もぶどうやモモを作ってみたいと思うことがあります。
花を作ってみたいと思うこともあります。
若い時は、情熱大陸に出演したことのある吉備中央町でブラウンスイスを飼育しながらチーズを作っている吉田全作氏にチーズ作りのお話を直接聞きに行って、学校に戻ってカマンベールチーズを作ったこともあります。
秋田県の高校の真似をしてお酒の試験醸造の免許を取ってビールのようなものを作ったこともあります。
ですが、どれも長続きはしませんでした。
教材でおわっていたのです。
昨日あたりから、玉野でコーヒーを栽培できないだろうか。
1年を通して最低温度13℃を下回らなければ、ここ岡山でも確か育つと聞いたけれど、脱炭素社会を目指すなか、石油を焚くわけにはいかないしな、薪ストーブで竹を燃料にするのはどうかとか。
他にも植物工場でクラウドべりー(和名;ホロムイイチゴ)の栽培ができないだろうか、また両備の植物工場を訪ねて聞いてみようかなとか・・・。
ですが、ちょっとしたことでやっぱり無理だと諦めてしまいます。
この繰り返しです。
ということで、小学校の先生だった方が、私の文章に「優しい批判と希望がある」というように言って下さったことは実にもったいない言葉です。
さて、連日のように次のアメリカの大統領のことが報道されています。
74歳と78歳の2人。
どちらが最終的に決まるとしても同じ人間なのに、アメリカ大統領としてこれから4年間“やってやるぞ、あるいは、まだやりたいんだ”と言っていることに対して、岡山県に住むこの小さな人間は“ほぉー”としか言いようがありません。
耕作豊吉
豊吉先生の文章の一部に関わる写真を、こっそり並べておきます
文中にもありましたが、邑久高校に時々お手伝いに行っています。が、知識人でも有識人でも地元民でもないので、私自身が勉強に行っているというのが正解です。
地元の方がお困りのスクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)について活動した4人の取り組みを、地元の振興公社の方があたたかくサポートしてくださって、眼から鱗がドカドカ落ちたのですが、実は生徒の皆さんは、捕まえた後のスクミリンゴガイをどうするかという取り組みを続けていたのでした。
何より興味深かったのは、この写真のハツカダイコンを職員室に置いていたところ、肥料を使っていない小さい方が先にもらわれていったという事実です。これは深掘りする甲斐のありそうな事実です。
前年の活動では、キノコを育てたチームの当の本人が、自分が育てたキノコを信頼できずに食べることが出来なかった、という話もありました。彼自身は、コロナ禍の中で人間の不安と安心についての関心を深めて、心理学科への進学を目指しています。
学校というのは、可能性を広げる場所なんだなあと、しみじみ思い知らされます。目的を明確に定めて効率的に合理的に失敗のないように着々と組み上げていく、、、、ことだけではなくて、予想外の副産物や意外な事実に気づけば、教材は山ほどある、と思うのです。すみません、妄想でした。
【お知らせ】本日(11月29日)17時しめきりです
シュトレンのご注文(岡山市北区南方うけとり)/寄付つき