ひさびさの「ハガキしんぶん」の原稿です。
今回は、ムウさんの企画。
3名が参加。二時間では足りなかった。
この会の約束は
当日は、性や性教育に関する「言葉」カードをたくさん吊して、気になるカードをそれぞれ選び、「気になること」をシェアしてみます
それを聞いて、何か言いたくなった人は、言葉にしてみましょう
他の誰かの言葉を聞きたい人は、耳を澄ませてみましょう
自己紹介もしません
言いたくないことは言わなくて大丈夫です
お互いへの敬意と想像力は、必要です
二つの対話
(場に出ている言葉と個人の内側の言葉)
両方を大切にするために
他者の言葉は最後までしっかり聞く
自分の言葉は全部を言わなくてもいい
というルールも大切にしています
秋晴れの庭で揺れる、性の言葉たち
つい、庭につるしてしまったんですね
今回選ばれた言葉たちのみご紹介します。
「性的同意」「国際セクシャリティ教育ガイダンス」「性行為」「避妊」「ジェンダー」「多様(性)」
対話の内容はここには書きませんが、お手伝いさんとして横にいた実習助手が思ったことをいくつか紹介しておきます。
性について語ると、いろんなことと絡んできて難しく感じる、その難しさは、つながりの幅広さと個人差と、わかりあえないかもしれないという不安や、わかってもらったり腑に落ちることが出来たからといって解決しないような気がすることと、世の中のことと、、、、他者と一緒に生きていきながら、自分のことも大切にしていくことの難しさなのかなあと思いました。
心理学はクライアントの数だけ存在する、と聞いたことがありますが、それと同じで、性についての枠組みも、人の数だけあるのかも。とはいえ、全く違うというわけではなく、重なる部分や似ている部分もあるから、他の人のことが自分の助けになったりもする。と同時に、細部にわたって違いも気になる。
万事、メンドクサイ、ヤヤコシイ。
そこを面白がれたらなあ、と、
ふと思ったのは、
スポーツや音楽、ダンスだって、ルールや楽譜や伝統がありつつも、毎回違う実践を経験している。
だとすると、人間は大昔から、わざわざややこしいルールを作って、人を集めてまでエンジョイしようとする性質を持ってるのかもしれない。
メンドクサイ、ヤヤコシイことが、好きなのか必要なのか、、、、
ん?好きと必要の境目も結構大切かも、、、。
そんなことを考えました。
やはり、人と共に考えたい話題です。
合宿が必要、との感想もいただきました。
乞うご期待!
そして、ムウさん、参加者の皆さん、ありがとうございました!
庭で一泊した言葉たちでした。