皆で一緒に、黙って考える
相談しない
会話しない
ゆるい全体が黙々と歩き続ける
それが楽しいという、不思議な時間
「普段から一人で歩きながら考えることがあるけれど、今日のはなんだか楽しかった」ふりかえりでこんなコメントが聞かれた
くじで引いた哲学者の言葉を、声に出さず反芻しながら、それに合う場所を探し続ける
「見つからないかも」と不安になる間もなく、第一発言者が「ストップ、ここです」
しかも後から聞くと、その直前まで「これは見つからないな」と思っていたという
探してみると、意外と見つかる
何を聞いていいのか、質問する側も最初は困る
道端で、思い余って私が聞いたのは「空腹と満腹と腹八分目、どれが好きですか?」
戸惑い気味を楽しめるように進行してくださった富田さんに感謝だが、実はルートは適当だったらしく、途中で行き止まりにぶつかったりしてこれまた面白い
気になる住居や、大量の亀の甲羅干しを目の当たりにしても、
近くの人に「見て見て見て」と騒げない
亀の甲羅と哲学者の言葉を、つなげざるを得ない
自分との対話、ということになるのかもしれないが、
実質、亀と哲学者の見合い席にいる仲介人の気分で、
必死に考えてしまう
すぐ人に頼ってしまいがちな人には、そこらへんが良いように思った
言葉を浮かべながら、場所を探しながら、歩きながら、
急に立ち止まって質問を考えると、
他人の言葉が、自分の考えに織り込まれていく
自分ひとりで閉じて考えているつもりが、
かえって人の影響を新鮮に受け止められるので、
考えが変容するのが、とても面白い
自分の考えに固執しがちな人には、そこらへんが良いように思った
「ただ生きるのではなく、善く生きることこそ、最も大切にしなければならない」に合う場所を探して、トイレの前で立ち止まる
【「善い」のレベルと、トイレの設備の関係】という質問を選ぶ
排泄と生きること、切っても切れないここに立ち止まると、「ただ生きる」「善く生きる」どっちがどっちで、どれくらいがどのくらいなのか、これは単純に決められないぞ、と気づく
生れたときから、死ぬときまで、私たちは、出す
「文化とは共同生活の技術」「どこまでが自分か」「制御不能」「そもそも土の由来は」「出るものがあることを意識している生活」「処理の外部化」「トイレのないマンション=原発」「百年さかのぼれば全然違う」「人口密度」「犬の散歩」「猫のしつけ」「食」「食べ物が管を通って最後には出ることが理科の知識ではなかったころの認識」などなどなどなど
とりとめなく頭に浮かぶ色々な言葉
勝手に目に入ってくる周囲
聞こえてくる遠くの音
私達だけ、しゃべらない
小林秀雄の文章に「見ることはしゃべることではない。言葉は目のじゃまになる」とあったのを思い出す。美しいライターが目の前にあったとしても、多くの人は、ブランドと値段を聞くと、もうおしまいである。試しに、黙って、一分間、ライターの形だけをながめてみよ。考えることと、見ること、聞くことは同じだ。努力と訓練の結果、出来るようになる、難しい営みなのだ、とあった。
小林秀雄の言う
「試しに」というフレーズが
昔から好きなのだ。
ふりかえり後の「てつがく占い」も、皆さんの対話によって意外な広がり。
この日のラジオ「ACTION」は、ワークの続きかと思うほどの内容の連なり。
このような時期の企画に、様々な形でご協力してくださった参加者の皆さんに大感謝です。
「ヨノナカ実習室」
調理実習、木工実習のように、
対話や表現や交流の実習活動のためのスペース
オープンの時間は不定期ですので、
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