人の声に耳を傾けることが、私たちは好きなのだ。
そうとしか思えない。
『ふたりはいつも』のワークが終わった後、なぜか『んぐまーま』を丸丸一冊、その場にいたみんなで声を出して読み切ってしまった。
だれかが読もうと言ったわけではない。
お迎えが来て、さあ帰ろう、となったその時。
積んであった絵本の山をそれぞれが手にしては、「これ好き」「これうちにある」開いて読み始める。
その時だった。
開いたページに「うやむやむ なむばなならむ」の文字。
みなさん、声に出し始める。なぜだろう、声をそろえて。
どうして声をそろえたくなるのだろう。
一緒に息継ぎをする。文字通り、息が合う。
目は文字に集中している。
声に耳を澄ます、美しい時間だった。
『ふたりはいつも』アーノルド・ロベール 作/三木卓 訳
準備の段階から「がまくんとかえるくん」は、声に出してみんなで読みたいと思っていた。ところが、集合した人たちは「音読やだ。黙読がいい。ひとりで読みたい」とのこと。
そんな人たちが、である。
この本の底力に驚かされる。企画、選書はスロウな本屋さん。さすが、のひとこと。
〈そりすべり〉の好きな場面を、爆笑と共に紹介し合う。
いくつかの場面について、書かれていることを探したり、書かれていないことを考えたりして、お互いに伝えあう。
うまく聞けないときもある。人の言葉はちゃんと聞こう。そしてくりかえす。
そんななかで、お互いの声に耳を澄ます。
人の声に、私たちは耳を澄ますのが、好きなんじゃないか。
しかし、いろいろな場面で自分の声を人が聞くことに躊躇するようになる。
思いだしたことがある。ずいぶん以前に、教室に行かずに自分の部屋でずっと小さく座っていた高校生が、ふと言うのだ。「英語の発音を笑われて、恥ずかしくて、もうダメだと思った」小さな声でぽつりと言った。スポーツ万能でちょっとステキな若者は、ずっと部屋から出られなくなっていた。ふとんを引きはがして、足を引っぱって部屋から引きずり出して、一緒に学校へ行ったこともある。小さな声を聞いたとき、この言葉を聞かずに引きずり出したことを心の底から詫びた。
たとえば「白」から連想するものを、せーので声に出す。当然、人の声は聞こえないから、一人ずつに言ってもらう。聞こえるから、聞こうとする。聞きたいのだ。そして、伝えたい。聞いてほしい。
かえるくんは、冬がステキだと、がまくんに伝えたい。
ステキな冬を伝えるために、オーバーや帽子や襟巻をがまくんに支度したかえるくんの優しさは、あたたかい。それでも冬を嫌がっていたがまくんが、ついに冬を世界一だと言ったのは
「ふゆはおもしろいから」
「そりにのったから」
「かえるくんがさそってくれたから」
「きみがいっしょだから」
だんだん言葉が自分のものになっていく。
続いての〈クリスマス・イブ〉で、がまくんは、目の前にいないかえるくんのことを考えている。
「しんぱいしとる」
「やさしいからじゃ」
「そうぞうしとる」
自分の言葉で説明をし始める。問いかけたときに、答えるまでの時間が少しずつ、長くなる。言葉を探しているように見える。
今、目の前にいない人のこと、考えられる?大人の賢しらな愚問である。みな、ほんとうに嬉しそうに、今、目の前にいない大切な人のことを我先に語り出す。自分よりも年若い人のことを彼らが語ったことも、忘れがたい。
「あの壁の絵の変なおじさんが、自分のことを穴に落ちとるかもってしんぱいしてくれとったら、どうおもう?」
人生を試されているような質問も飛び出す。
最後に、ふたつのお話の重大な違いを聞いてみた。
「季節が同じだけど、あったかいのと寒いのと、違っていくのが違う」
「かえるくんが、がまくんのことを考えとった話と、がまくんが、かえるくんのことを考えとった話」
「がまくんはベットから出るのも嫌だったのに、かえるくんのことめっちゃしんぱいしとるから、はだしですごい勢いで出かけとる」
一同、納得。
特に最後のがまくんの変化に気づいた瞬間、それぞれの言葉で皆が顔を見合わせて納得。
わずか90分。かえるくんからのプレゼントは時計だった。ここの時計も時間に音がならなかったから、壊れとる、ということで、現実の世界におかえりなさい。
前回は、最後に「孤独で、孤独ではない」ひとりで読む時間が印象的だったが、今回は、お互いの声に耳を澄まし、息を合わせて声に出して読む姿が、驚きと共に心に残る。
「みんな みたよ
きみたちは みんな とても うまかったよ」