松川さんの「見栄」についてのレポート、ものすごく立ち止まってしまう。
「かっこつけしい(岡山弁)」だから見栄をはるし
「やせ我慢」発電所の電力で頑張ってきた年代も自覚がある。
「言わないこと」って嘘なの?どうなの?
「見栄」って、嘘なの?どうなの?
と思っていた所に、ラジオが聞こえて来る。
フェイクニュース、陰謀論、それを研究、検証している人の誠実さがわかる放送。
言葉を選ぶために必要なことって、大変なことだああ、とのけぞる。
で、そのうえで
先日の哲学対話
そういえば「嘘」についての対話だったのに
全く出てこなかった日本語「信じる」「信頼」「信用」。
「信じる」は、「愛する」と似ていて、
形から類推するに、やや新しい日本語である。
漢字の音読み+「す」
「やまとことば」に無かった概念を受け入れてきた歴史を勉強しないと、厳密には意味を把握出来ないのかもしれないけど。
日本語の古い言葉では、何に当たるのか。
「たよる」という語に「信頼する、あてにする」の意味があることを思い合わせると、ここのあたりになるのだろうか。
20代の時に酒を飲んだ勢いで「人を信じることが出来るか否か」について延々もめた挙げ句「わかりあえな~い」という夜明けの結論にたどりついたことを唐突に思い出す。
それにしても「嘘」についてに対話の場で「信じる」が話題にすら挙がらなかったことは、何を意味するのか。
・あまりに大前提だった
・実は無関係だった
・裏切られた、の時点で嘘が成立しているから
・嘘をつくことが話題で、だまされることは別問題だから
・むうう
少なくとも、自分自身は、「嘘をつく立場」で対話に参加していた。
「信じる」とはなんなんだ?
「愛する」も、何なの?
参加者の方のコメント
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嘘というのは自分を守る手段だな、という思いになりました
○守るべきもの
ルール
法律
約束
良い人間関係
良い子を育てる・・・
みたいな、守る事が「善」とされる事に対して、できない出来事が起こった時に、新たな「架空の現実」を作る事で、自分の悪に対する罪や罰から逃れようとするのが、『嘘』のような気がしました。
その『虚』を作る事で自分へのダメージ
罰を受ける
嫌われる
怒られる
などのマイナス要素を減らそうとする本能みたいな・・・
でも
嘘は悪いこと、という幼い頃からの教えで、正しさを取るか、ダメージを減らすか、が、それぞれの価値観というか人生観なのかなあ、と。
ただダメージを減らすために作った虚が、思い通りの結果にはならないですが・・・
子供の頃から勉強して『正解』に安心感を得てきたので、
「子育ても正解を出したい」
「小さな選択肢でも正解を出したい」
「答えはないよ!と聞いていても哲学でなんらかの正解な答えを出したい」
という思いが出てきます(笑)
あー、自分を守ろうとしてるんだな、と思うと子供の嘘も愛おしく感じられ、優しくなれました
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信じる
行為なの?心理状態なの?感情なの?不随意なの?
文法的には他動詞
なんだ、この日本語?